現在、教育政策の流れは「底上げ型」から「選抜型」へと移行している。
社会のあらゆる面で複雑化・高度化を迎え、いよいよ成熟した今日の社会において、なおそれに耐えうる知性と人格を備えた人物の発掘・育成を目指すための方針といえよう。
しかし一方でこうした方針に懸念を示す人々も多い。
教育格差が社会の固定化を促すと考え、教育機会の不平等を招くと彼らは考える。
教育機会の不平等は何も親の経済力のみで起こるものではない。
今日は障害を持つ人々の学習環境について、少し考えてみたいと思う。
障害を持つ学生のために点訳や試験時間の延長など授業で何らかの配慮をしている大学・短大・高専は、34.0%と3校に1校にとどまることが、日本学生支援機構(横浜市)の調査(06年5月)で分かった。
支援スタッフの拡充などを進めている高校までの課程に比べ、高等教育機関では支援が遅れている実態が明らかになった。調査対象は全国の国公私立の大学・短大・高専1244校、1167校から回答を得た。
障害を持つ学生が21人以上在籍する学校では88.4%が配慮をしている一方、全体の4割を占める在籍数ゼロの学校では実施率は0.6%だったそうだ。特に専用の机・イスやスペースの確保などインフラ面での対応の遅れが目立つ。
日本学生支援機構は「配慮しない学校が多いため、障害を持つ学生の進路が限られていないか調査したい」としている。
支援にかかわる教職員に対する研修や学生に対する啓発活動を行っている学校は37.3%。実施している学校の活動内容は「ボランティア論など関連講義の開講」が47.6%と最も多く、「学生向けの研修の実施」が31.7%だった。
修学支援を行う専門の部署・機関を設置している割合は2.4%、支援にかかわる委員会を設置している学校は7.5%にとどまった。
所謂「教育格差」の議論は活発だが、障害のある人々の教育環境が意識されることは非常に少ないと思われる。
こちらは「底上げ」どころか、まだまだ基盤もできていないというところか。
率直に言うと「底上げ」「選抜」両方行える教育環境と教育に対する国民の高い共通意識を醸成することが、長期的に見ればこの国全体の質の向上につながると考える。
一握りの天才的な人が残す結果は確かに目覚しく、短期的に見ればインパクトはあるかもしれないが国というものはそればかりでで成り立っているものではない。
その国で暮らす人々が自分の能力を自覚し積極的に開花させられること、それにより他者の役に立つことを誇らしく感じるような互恵的な社会のシステムを作り上げること…
そのためにはどのような状況であっても、安心し納得し教育を受けられる基盤が整っていることは欠かせない要件と思われる。
「他国に比べ日本は格差が少ない」と格差論に批判的な立場の人は言うが、だから格差があっていいということにはならないだろう。
少なからず「格差」の大きい国には深刻に「不幸を余儀なくされた人々」がいることを思えば、格差は少ないに越したことはないのだ。
もって生まれた環境や特性…障害も含め、それらができる限り「障害」にならないような教育環境を目指すことは、やはり大切なことであろう。