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コラム

2008年7月17日

コミュニケーションのパラダイムシフト?

若者のコミュニケーション能力の欠如が声高に叫ばれている。きちんとした挨拶が出来ない、友達とうまく話せない、といった症状が懸念されているが、と言われるが果たしてどうなのだろうか。

 

TVで見たのだが、最近の一部の女子高生は家の中にいるときも常に友人との携帯電話の通話をオンにしているそうだ。それは四六時中喋っているというわけではなく、互いの生活の音だけを垂れ流すということらしい。気が向いたときだけ会話に応じる、そこにあるのはいつでも友達と繋がっていないと怖いという不安感の裏返しだ。

キャスターはこれを異常な行為というニュアンスで語っていたが、そう一概に言えるのか。一昔前に、大人たちがチャットに興じたり、メッセンジャーを夜中まで常にオンにしていたのとほとんど感覚的にはかわらないと筆者は思う。

 

また、街中を歩いているとDSやPSPなどの携帯ゲーム機をそれぞれ手に持って盛り上がる小中学生を良く見かける。その時ゲームを持っていない子は会話から疎外され、最悪の場合ゲームに熱中している子達の視界に入らない。これを以ってコミュニケーションの異常というのは簡単だが、その根底にある「仲間意識」や「友達と常にいたい」という心情は昔から変わっていないように感じる。子どもの幼さゆえの残酷さは昔から変化していないだろう。

 

今の20台以上の大人たちがかつてTVの話題やスポーツで繋がったのに対し、今の彼らは携帯やゲーム機で繋がっている。それは決してどちらが良い悪いではなく、ある一つのパラダイムが移り変わっているまさにその過渡期なのではないか。

実際コミュニケーションの欠如と言われてはいるが、今の中高生と話しても敬語が出来ないわけではないし、礼儀正しさは持ち合わせている。コミュニケーションの形が自分たちの知っているものと違うからといって頭ごなしに「欠如」と上から目線で否定していては相互理解は進まないだろう。

 

もっとも、時代は更に変わりつつある。 

最近、イヤホンを耳に刺したまま会話している若者もよく見かける。筆者はこういった行為を相手に失礼だと思ってしまうのだが、彼らはそう感じないのかもしれない。この話を友人にしたら、「今の世代はもはや会話によるコミュニケーションを必要としないで、以心伝心みたいに考えていることが伝わっているのかもよ~」と笑った。 

メールなりパソコンなりが生まれた頃から存在する世代になって、人間の口は近いうち会話機能を失うのかもしれない。

 

更に余談だが、浦澤直樹の『20世紀少年』という近未来を題材としたマンガの中に、次のような台詞がある。

「G'zっていう若者たちのグループが厄介でね。あいつら日本人の癖に日本語が通じないんだ。」

 

世代間の理解というのはいつの時代も難しいものである。

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