子供の個性や自主性を尊重する意識よりも、教員が中心になり学力を底上げしようという意識が、小中学校の教員の間で高まっていることが、ベネッセ教育研究開発センターの調査でわかった。ベネッセは、国がゆとり教育から「確かな学力」向上へ政策転換を進める中で、現場教員の教育観が大きく変化したと分析している。
http://benesse.jp/berd/center/open/report/shidou_kihon/soku/soku_4_1.html
個人的には、質の高い学力を、時間がかかっても丁寧に教えていくことができる学校が理想的であると思う。
そのような考えに立てば、質問事項で対置的に扱われていることが対置されている「前提」こそ、改めて考える必要があるかもしれない。
例えば「評価」に関する質問で、「公平な評価」と「個性の評価」が対置されているのは非常に不思議なことである。
科学的・論理的な思考ということについて子どもの個性はその思考のプロセス(算数の問題なら数式を立てて考える子、絵を描く子、積み木やブロックを使う子、など問題へのアプローチの仕方)に現れるもので、回答は必然同じものになるはずだ。
このような場合、「公平かつ個性を尊重した評価」が可能であるし望ましいとは言えないだろうか。
公平であることは必ずしも画一的であることではないし、個性を尊重することは客観性を損なうことでもない。
逆にそれらが対立する関係であり続ける教育の状態が続けば、今日までに繰り返してきた様々な問題を再度経験するだけに終わってしまうだろう。