教育再生会議の三次報告最終案(11日発表)によると、教育の幅を広げるために教員免許を持たない社会人の参入を推進し、2012年までに教員採用数の2割以上を目指すことを掲げた。
一方、政府・与党は18日、来年度予算編成の焦点の一つである公立小中学校の教員増の是非を巡り、約1200人の増員を認めることで合意した。
政府が昨年策定した経済財政運営の基本方針「骨太方針2006」では、2007年度から5年間で公立小中学校の教員を1万人削減する方針を明記。09年度以降の大幅な削減は難しく、純減目標の達成も厳しい状況となっている。
教育をめぐる様々なニュースを見ながら、これからの公立学校はどうなるのだろうか、と不安になってくる。
「社会人教師参入」について時折見かける実践例から、良い効果を挙げているようである。
授業に慣れるまでは、相手が子どもであることや授業の雰囲気等のコツをつかむことが難しいようだが、そこを超えると子どもの反応はいいようだ。
ここで疑問になるのは、今まで「教員免許」という形で計られてきた「教員」の力である。
免許がなくてもよい教授ができるものならばなぜ資格として在ったのか、こちらが疑問視されてくるに違いない。
私は常々、教師の専門性をもっと重視するべきであると考えている。
それは教科学習の専門性のみならず、児童の成長を導き促すための専門性―児童心理学や発達心理学、臨床心理学などで裏付けられた、「子どもに対する専門性」である。
事実社会人教師の実践は一つの刺激となるだろうが、それらを統合する人格形成や成長に関する理解により経験を児童一人一人に「学習経験」として根付かせることができなければ、継続的な学習効果は望めないであろう。
子どもを導く学習法を自在にコーディネートできるような存在、それが「教師」であって欲しい。
だが実際には、教師には事実上の裁量はほとんどなく、事務処理や定期テストなど、それこそ外部民間企業に委託してもよさそうな仕事にさらに時間をとられるのが現状だ。
教師はやはり、それ以外の人でもできる職ではけしてない筈だ。
安易に人数を増やすだけでなく今一度教員養成課程そのものの抜本的な見直し、学校という組織そのもののあり方の変革を図り、教師自身がより自由に能動的に活躍できるように、改革して欲しいものだ。